竹山流津軽三味線とは、初代 高橋竹山の奏法を受け継いだ津軽三味線です。一般には”弾き三味線”の流派と言われます。


ここからは、僕の解釈ですが。

”弾き三味線”と言われますが、初代 高橋竹山の若い頃の音源を聴くと、その撥さばきは結構力強いものです。逆に、叩き三味線で有名な白川軍八郎さん(1909~1962)も、古い音源を聴くと、なるほど1の糸は力強く叩き付けていますが、3の糸の扱いはとても繊細です。

”叩き三味線”と”弾き三味線”と言う表現には少し誤解があって、その真意は山本竹勇さんのサイトで詳しく説明されています。

一般に言われる”叩き三味線”の流派でも、繊細に弾く部分もあるし、”弾き三味線”の流派でも、強く打ち付ける部分もあるのです。ですから、”叩き三味線”と”弾き三味線”とで線を引いてしまうのはどうかな?と思います。確かに、現在では切れにくいナイロン弦やテトロン弦を使うため、より一層激しく叩き付ける傾向にあり、”叩き”と”弾き”の差がはっきりしているとは言えますが。

三味線という楽器は弦楽器でありながら、打楽器的な要素もありますので、弦楽器的要素を重視して弾くのか、打楽器的要素を重視して弾くのか、という事だと思います。その間に線を引く必要など無いと思います。


竹山流はあくまで竹山流です。もっとさかのぼれば、竹山流は豊月流と言ってもいいかもしれません。初代 高橋竹山の追求した音色は梅田豊月(1885~1952)の三味線だったそうです。竹山の師匠の師匠にあたる人です。そのまた師匠の師匠で仁太坊(1857~1928)にたどり着きます。

仁太坊は弟子に「人真似でない自分の三味線を弾け」と教えたと言われています。その結果、様々な個性の三味線弾きが出現したのでしょう。激しく叩き弾く者、綺麗な澄んだ音色を出す者、唄の節を変化させた者・・・

綺麗な澄んだ音色(音澄み)を追求した長作坊(仁太坊の弟子)~梅田豊月~戸田重次郎~高橋竹山~という流れが竹山流津軽三味線という事になるのでしょう。

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