初代 高橋竹山(1910~1998)について

伝説的な盲目の津軽三味線奏者。津軽三味線を全国に広められました。

’十三の砂山’’鰺ヶ沢甚句’’与三郎節’’津軽音頭’など数々の津軽の名曲を成田雲竹氏(津軽民謡の名人)と供に世に送り出しました。


・・・恥ずかしながら、僕が初めて初代 高橋竹山という人を知り、その音を聴いたのは亡くなった後でした。しかも、CDです。もちろん、生で聴いたことは無いのです。第一印象は、「あれっ?」でした。僕が持っていた津軽三味線のイメージとは違ったのです。正直、拍子抜けした感じでした。しかし、聴けば聴くほど、何か凄く深いものを感じました。・・・


高橋栄山について

初代 高橋竹山の直弟子で、現在、竹山流津軽三味線の第一人者です。僕の師匠です。

初代 高橋竹山先生がまだ全国的に知られていなかった頃から、いち早く、その音色、旋律に感銘を受けられました。栄山先生、17歳の時だったそうです。そして弟子入りを望むも、その当時の竹山先生は”弟子を採らない”で有名な先生であり、「目が見えるんだから三味線なんか弾くな!」と言われたそうです。それでもなんとか、この人の芸を受け継ぎたいという思いで、先生の送り迎えなどを買って出て、3年後、20歳の時にようやく弟子入りを許されます。

しかし、そこからがまた苦労したそうです。当然、譜面なんて無いですし、竹山先生はあまり教えてくれなかったそうです。その当時は、手を盗まれるのが嫌だったんでしょうね。


・・・今は譜面もありますし、栄山先生はとても丁寧に教えて下さいます。だから、僕らはめちゃくちゃ恵まれてます。・・・


竹山先生に師事して3年、ある商業施設で三味線を弾く仕事をもらったそうです。毎日4回のステージに上がり、その合間には楽屋でひたすら練習の日々を送られたのです。

やがて”高橋竹山”の存在が全国的に知られるようになります。全国的に認められた竹山流津軽三味線を関西の人にも教えてほしい、と言う竹山先生の意向で、1975年、弟子入りから10年、青森から神戸に移り住み、竹山流津軽三味線の道場を開かれました。


最近では、古くて良い津軽の唄を、奥さんの須藤雲栄先生とともに再発掘し、”古調あいや節”を発表されたりと精力的に活動されています。

”古調あいや節”は、CD「風の風伝(ことづて)」に入ってますよ。三味線は新潟の小林史佳さんです。

また、CD「津 軽」もいいですよ。高橋栄山先生の三味線、尺八、須藤雲栄先生、長崎純子さん(二代目 須藤雲栄)の唄。ぜひ、聴いてほしいです。


・・・青森から神戸に来られて35年になりますが、栄山先生、雲栄先生ともに津軽弁のまんまです。やはり、津軽三味線、津軽の唄、は津軽弁から出来ているんだと感じます。根っこにあるんです。いくら頑張っても僕には出せない味、というものを感じるのです。しかし、もっともっと根っこにあるのは”気持ち”だと思うのです。・・・

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