1971年 | ・・・ | 奈良県生駒市出身、本名、山田崇晶(たかあき) |
中学から、大阪府堺市に引越す | ||
大学在学中にギターを始める | ||
2000年 | ・・・ | 我流で津軽三味線を始める |
2001年 | ・・・ | 竹山流津軽三味線の第一人者、高橋栄山氏に入門 |
2004年 | ・・・ | 名取り、栄水 |
2007年 | ・・・ | 準師範免状を取得。この頃より、路上演奏開始 |
2009年 | ・・・ | 堺の地元、文化喫茶「結」にてソロライブを開催 |
堺のレストラン「和処 せん」にて、ワンコインライブを開催 | ||
2010年 | ・・・ | 竹山流津軽三味線 栄山会 「師範」の資格を取得 |
2011年 | ・・・ | 高橋名字を許され、高橋栄水となる |
2012年 | ・・・ | 9月から三味線一本での生活を開始 |
2014年 | ・・・ | 堺市から大阪市平野区に活動拠点を移す |
2015年 | ・・・ | 竹山流津軽三味線 栄山会 「大師範」の資格を取得 |
2017年 | ・・・ | 10月、路上演奏1000回達成 |
某製菓会社のCMに出演する | ||
丹波の森公苑ホール「つがるの風」コンサートに出演 | ||
2020年 | ・・・ | 路上演奏1500回達成 |
2023年 | ・・・ | 路上演奏2000回達成 |
大阪を中心に演奏活動をしながら、阿倍野区、平野区、堺市等で津軽三味線教室を開いています。
演奏のご依頼や教室のお問合わせは下のお問合わせフォームからお願いします。
・・・以下、10年ほど前に書いた記事をそのまま残しときます・・・
「なんで、三味線弾くようになったん?」と、よく聞かれます。
ここでは、僕が津軽三味線を弾き始めるまでを、時々脱線しながら、ダラダラと説明します。
三味線をやってみたい、と思っている人の、少しでも参考になればと思います。
1971年、奈良県生駒市出身、本名、山田崇晶(たかあき)。
小学4年生の時に、ひどい円形脱毛症にかかってしまう。後頭部から抜け始め、みっともないので丸坊主にした。男前が台無しになってしまった。それ以来、スキンヘッドで、散髪屋さんには一度も行っていない。
これがきっかけで三味線を弾くようになった、と言うと話はちょっと面白いんだが、そうではありません。あまり関係ありません。いきなり、脱線しています。
中学から、大阪府堺市に引越す。堺市立赤坂台中学校、府立泉北高校では陸上部の長距離で、音楽とは、ほとんど無縁だった。
高校を卒業し、一年間の浪人生活中に、深夜ラジオで流れてきた吉田拓郎さんの曲にグッときた。アコースティックギターがまた良かった。
神戸商船大学に入学。その時に、友達から貰ったギターで、拓郎さんの曲を真似始める。拓郎さんの曲は、ほとんどスリーコードで弾けるから簡単なのだ。ギターを始めるには、ぴったりだった。
大学卒業の年、あの阪神淡路大震災があった。揺れた時は堺の自宅に居たが、ニュースを見て目を疑った。友人達が心配で、すぐバイクで大学に行った。3時間くらいかかったと思う。幸い、皆無事だったが、今でも昨日の事のように覚えている。
震災でぐちゃぐちゃになった街、そんな中、卒論を書いている自分がいやになった。
大学卒業後、就職はせず、派遣工員などをしながら、自分で曲を創ろうと思い、吉田拓郎のルーツをさかのぼった。
ボブデュラン、ウッディーガスリー、レッドベリー、ブルースから、ローリングストーンズ。なぜかビートルズは聴かなかった。
ストーンズ、デュランは大好きだ。
他に、ゴスペル、特に女性のソリストは素晴らしい。中でも、クララ・ワード。最高、最高、最高!何度でも言っちゃう、最高!
クララ・ワード、多分、知ってる人は少ないと思いますが。
その頃には、エレキギターも弾き始めたが、全くの我流なもんで、自分の思うようなニュアンスが出せない。腹が立つぐらい、もどかしい。
ギター教室で習う、なんて事は考えもしなかった。習い事なんて、金持ちの’ぼんぼん’がやる事だと思っていた。
俺は、そんなんじゃない、俺のやりたい音楽は、金持ちの娯楽的なものじゃない!・・・な~んてね。
しかし、現実、いき詰まる。
もがきながら、日本の音楽にも耳を傾けてみた。日本各地の民謡も聴いてみた。その中で、津軽じょんから節、伴奏の三味線が、なんか凄い。魂を感じた。
これだっ!やってやる!何にもわからんくせに、自信があった。ギターでいき詰まった時、腹が立って無茶苦茶に弾いた時のフレーズや音が、なぜか、津軽三味線っぽかったのだ。
それから、津軽三味線のCDを買ってきて、聴き比べた。澤田勝秋さん、木田林松栄さん、白川軍八郎さん、高橋裕次郎さん、名人ばかりだ。
そんな中、異色に感じた、高橋竹山さん(初代)。
この人は、まさに門付けで、大正、昭和と生き抜いてきた人だった。しかも、今ある津軽五大節以外の津軽民謡のほとんどが、この人によって、三味線伴奏が付けられたという。
この人の三味線を手本にすれば間違いない、と思った。
でも、三味線が無い。三味線の知識も無い。三味線屋さんはどこにある?値段は?何にもわからない。
まず、三味線屋さんを探して回った。何軒か回ったが、一番入りやすそうな雰囲気の店に入ってみた(今でも世話になっている、大阪阿倍野の丹幸 中西楽器店)。
結構、勇気がいるのよ。こっちは、三味線の知識が皆無だから。頑固な職人さんが出てきて、すぐ追い返されるんちゃうかな?というのは、こっちの勝手な思い込みだった。出てきた大将は意外と(失礼)、丁寧に応対してくれた。この時は、値段を聞いただけだったんだけど。
で、値段は大体わかった。最低でも、オールソリッドの、そこそこ良いアコースティックギターが買えるくらい。
すぐには買えないなあ。
しばらくは、エレキギターの弦を三本にして弾いた。
しかし、スティール弦だから、感触が違うだろう。三味線は絹糸だから。絹糸で弾いてみたい!
三味線の糸だけ買ってきて、ギターに張ってみた。今度は、撥で弾いてみたくなる。一番安い、プラスチックの撥を買ってきて弾いてみた。撥の握り方がよくわからない。
三味線屋さんに何度か脚を運んでいると、そのつど、いろいろと教えて下さった。
そして、2000年4月、花林の太棹三味線を購入した。
結局、津軽三味線をやろう、と思ってから三味線を手に入れるまで、1年ほどかかった。もうすぐ、29歳になろうかという時だった。そこから、我流の津軽三味線が始まった。
始めたはいいが、やはり我流は我流、できないのだ。独学で立派に演奏できる人も、中にはいるだろうが、僕には無理っぽい。撥の使い方、左手の使い方、無茶苦茶なのだ。それらしくは聴こえるんだが、なにか違うのだ。
1年半ほど、続けたが、最初の自信はどっかへ行ってしまっていた。手本にしたのが、竹山先生ってのも、厳しかったのか。誰か、教えてくれ、頼むわ!
今なら、インターネットもブロードバンドで、津軽三味線演奏の動画も観れるようだが、その頃はまだ、ナローバンドだった。(単に、僕がおくれていただけか?)
実際に、二代目 高橋竹山のコンサートも見に行ったが、一回見ただけでは、盗めない。
真剣に、教えてくれる先生を探し始めた。青森に行く事まで考えた。
そんな時、インターネットで見つけた、
なんと、近くにこんなすごい人がおられたとは。初代高橋竹山先生の直弟子である。しかも、奥さんは、須藤雲栄さんである。ずっと、CDでこの人の唄を聴いていたのだ。
2001年9月、迷わず入門
いろいろ、まわり道をしたが、やはり、教えてもらうのが一番早い。教えてもらっても、なかなか出来ない事もあるが、そこは頑張って出来るまでやるのだ。
三味線を手にしてから10年、栄山会に入門して9年、まだまだ、解らない事の方が多いが、なんとか、人前で演奏出来る程度にはなった。
が、まだまだ、まだまだ、だ。
もっと、もっと、良くなる。もっと、もっと、深化していく。
大いに期待してください!
・・・・・2010年記・・・・・